History-富士急スケート部の歴史

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第三期黄金時代

平成2年(1990)、岡崎朋美が入社。よき先輩に囲まれ次第に力をつけていった。その後も宗像記子、三宮恵利子、田畑真紀、根本奈美、成田亜希、堀川友里、清水知美、野中亜希子、小原悠里、田口恵子、渡邊ゆかりと世界レベルで実力を発揮する選手が続々と入社している。
平成6年(1994)、岡崎、田畑がリレハンメル五輪に出場。
平成10年(1998)、岡崎、宗像、三宮、根本の4選手が長野五輪に出場。岡崎は500メートルで日本女子短距離陣初となる銅メダルに輝く。また1000メートルでは岡崎が7位、三宮が8位入賞を果たす。
平成11年(1999)、岡崎が世界種目別選手権500mで2年連続銅メダルを獲得。
平成12年(2000)、田畑が世界選手権で総合3位に入賞、日本女子史上3人目の快挙を成し遂げる。
平成13年(2001)、三宮が世界スプリント選手権で日本女子史上初の総合銀メダルに輝く。
田畑は世界距離別選手権1500mで、世界歴代2位の記録で銀メダル、5000mでも銅メダルを獲得。

平成14年(2002)、ソルトレークシティ五輪に岡崎、三宮、田畑、根本、小原、渡邊の6選手が出場。岡崎が500mで日本新記録を樹立して6位入賞を果たす。田畑も3000m6位、5000m8位とそれぞれ入賞する。

団体でも昭和63年(1988)から全日本実業団で優勝を重ね、平成9年には前人未到の10連覇を達成、平成14年(2002)現在14連覇と記録を更新中である。

   
平成2年(1990)年度
  • 岡崎朋美が入部
  • 羽田雅樹、コーチ就任
  • 橋本聖子、全日本スピードスケート選手権大会で総合優勝、十連覇
  • 橋本聖子、全日本スプリントスピードスケート選手権大会9度目の総合優勝
平成3年(1991)年度
  • 橋本聖子、戸田則子、深澤洋子がアルベールビル冬季五輪出場(長田監督もコーチとして出場)
  • 橋本聖子、アルベールビル冬季五輪1500メートル3位に入り、銅メダル獲得、1000メートルも5位
  • 橋本聖子、世界スピードスケート選手権大会総合3位
  • 橋本聖子、世界スプリントスピードスケート選手権大会総合8位
平成4年(1992)年度
  • 宗像記子、斉藤美加、石川直子、大関智恵が入部
  • コニファーフォレスト スケートリンクをコニファーフォレスト「セイコオーバル」に改名
  • 橋本聖子、バルセロナ五輪(自転車競技)出場
  • 橋本聖子、世界スピードスケート選手権大会総合4位
  • 岡崎朋美、札幌オリンピック記念真駒内選抜スピードスケート競技会500メートル優勝
  • 斉藤美加、札幌オリンピック記念真駒内選抜スピードスケート競技会1500メートル優勝
  • 宗像記子、全日本実業団スピードスケート競技会3000メートル優勝
平成5年(1993)年度
  • 三宮恵利子、田畑真紀、根本奈美が入部
  • 橋本聖子、岡崎朋美、田畑真紀がリレハンメル冬季五輪出場
  • 橋本聖子、リレハンメル冬季五輪3000メートル、5000メートルの二種目入賞
  • 岡崎朋美、リレハンメル冬季五輪500メートル14位
  • 田畑真紀、リレハンメル冬季五輪1500メートル16位
  • 宗像記子、世界スピードスケート選手権大会総合4位
  • 三宮恵利子、国民体育大会冬季大会500メートル優勝
  • 根本奈美、世界ジュニアスピードスケート選手権大会出場
平成6年(1994)年度
  • 橋本聖子、自転車転向に伴い富士急行を退社(スケート部在籍11年)
 

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